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大正寺 高田 芳行(豊頃町)

秋彼岸夕日のごとく赤々と燃やし尽くさん残れしいのち」

 「お彼岸」は、私たちの生きている世界である迷いの世界より、仏さまの世界である悟の世界へ到ろうとする仏教の教えが基になっています。春分と秋分の日を中心として、前後三日の一週間に行われる法会を「彼岸会」と呼んでいます。

 この時期は太陽が真東から昇り真西に沈んでいきます。仏説阿弥陀経には私たちの世界から西に遥か彼方の世界にあるのがお浄土であると説かれています。また仏説観無量寿経には、私たちがお浄土を思い浮かべる手だての一番目に真西に沈む太陽を心に思いうかべる方法が説かれています。私たちの先人たちは日の沈む西の彼方にお浄土があり、その仏さまの世界には、先だった大切な方々がおられる。私もこの人生の旅が終われば、阿弥陀さまの働きで、仏さまの世界に生まれさせていただき、大切な方々ともう一度会ううことができるのです。いのちの帰る世界、こころのふるさとが「お彼岸」であり、お浄土です。

 私の父がお浄土に帰り、3年が過ぎました。温厚で言葉数が少なく、お参り一筋の父でした。小学2年生の時、一度だけ父から投げ飛ばされたことがありました。当時の私の自分勝手な言動が原因ですが、私はとってもビックリしたので、飛ばされた痛みもなく、泣かなかったことを今でも覚えています。普段は温厚で優しい父でしたが、その父が物凄く怒ったのですから、私の言動はよっぽど身勝手な事だったのでしょう。その後、父が怒った姿を私は見たことはありません。今は父から投げ飛ばされた事も含め、大切なお育てをいただいたなと受け止めることができるようになりました。

 阿弥陀さまはどんなに自分に背く人であっても、その人の幸せを願われている大きなお慈悲の仏さまと聞かさせていただいています。今年の秋彼岸は私も66歳になりました。真西に沈む夕日を心に思いうかべ、父を想い、自分を振り返り、世の中が安らかになるように、仏さまのみ教えが広まるようにと、お念仏をお称えしながら歩ませていただきます。

光明寺 臼井 教生(音更町)

「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり

 6月に入り、大地の緑と青い大空、日高山脈から大雪山系のところどころの頂に残る残雪の景色が美しい季節になりました。皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。

 昨年の4月より、町内の交通安全指導員という、通学・通勤の歩行者が安全に横断出来る様に誘導するボランティアをさせていただいています。

 応募した理由はというと、「親子でお育てをいただきました」という地域への感謝の思いと、お寺に住んでいますので通勤時間が無いために、「お手伝いの出来る時間がある」という事からでした。ネクタイを締め、貸与されている制服を着ると、大変気持ちが引きしまります。

 

 私が担当する場所は、お寺からすぐの国道交差点であります。朝7時20分頃から8時頃まで街頭に立つのですが面白いもので、その時間帯に通学する学生や通勤する方々は勿論のこと、通過する車種や運転者の顔もわかってくるものです。

 ほんのひと時ではありますが、通学や通勤する方々との「おはよう」の挨拶や、通行する車内から手を振ってくれたり、会釈してくれる方がいたりと、大変に気持ちのよい一日のスタートを切らせていただいています。

 

 その様な中で、私が常々お見送りしながら思っていること願っていることは、「夕方、無事に家に帰ってきてね」ということであります。

 

 本願寺第8代蓮如上人がお書きになられた御文章(おてがみ)の中の一つ『白骨章』の中には、

「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」

と記されています。

 意味としては、「朝、元気だった若者が、日暮れには何の前触れものなく冷たい亡骸となってしまう身」という、大変に厳しいお言葉であります。

 無常の風が吹いて、この私のいのちを支えている条件が一つでも欠けてしまうと、一瞬で命を終えてしまうのがこの私の身なのだよ」と、蓮如上人は書き残して下さいました。

 

 コロナ禍における不安と不自由な日々は一方で、今まで「当たり前と思っていたことが当りまえでは無かった」ということなど、沢山のことを思い出させてくれたり、気付かせてくれた日々でもありました。

 年齢に関係なく、いつ終えるかもしれない、今この瞬間をいただきながら生かさせていただいている私の“いのち”に感謝しながら、仏教徒として日々の日暮しを送らせていただきたいと思います。

 

新泉寺 高久 教仁(新得町)

「先のものは後を導く」

 十数年前のことですが、暮れの報恩講参りで、必ずお盆には帯広からお寺のある新得へご一族そろってお参りに来られていたご門徒さんのお宅にお伺いした時のことです。いつも出迎えてくださるおじいさんが留守でしたので、同居の娘さんに尋ねると、末期の癌で病院に入院されているとのことでした。それが、年が明けてお年始のお参りにお伺いしたときには、茶の間にリクライニングのベットを持ち込み、その上にお座りになって私を笑顔で迎えてくださったのです。

 

「お帰りになっていましたか。お浄土参りも、もうそろそろかなとおもっていましたが。いかがですか。」と笑いながら尋ねると

 

「まだまだだなあ」と笑顔で返してくださいました。

 

「何か言い伝えたいことがあればお元気なうちに娘さんにきちんと伝えておかないとね」と申しましたら、 

「そうですなあ」とうなずいておられました。

 

 それから約ひと月後の三月二日の朝、穏やかにご往生されたと娘さんからお電話でお知らせを受け、早速、枕経勤めにお伺いいたしました。

 

「このひと月のうちにお父様から何かお話はございましたか」と娘さんにお聞きしましたら

 

「父は何一つ申しませんでしたが、これをご住職に」と一通の手紙を差し出されました。通夜のお勤めの後、家族の前で読み上げましたが、そこには

 

「志願して海軍に入隊したが、終戦となり、心の置き場所もなく一念発起して両親を連れ北海道の新得町に入植したものの、土地は悪く、冷害も続き生活は厳しく、農業をあきらめ帯広に出て、国の将来を担う子どもたちの育成の一助になればと下宿屋をはじめ、一所懸命に頑張ってきた。生活はいつも貧乏であったが我が人生に悔いはなし」と書かれており、最後にうたが一句

   

我が骨を まもりくるるか 初ひ孫

  抱けば重し 生後五か月

  

あの世に生まれても子らの幸せを願うなり

  

と書かれてありました。

 

おじいさん夫婦には一人の娘と札幌に二組の孫夫婦。そのこどもの四人の曾孫がおりましたが、うたを読み上げたとき最前列に座っていた小学二年生から五年生の四人の男の子たちがみなで

 

「じいちゃーん、じいちゃーん」と声を出して一斉に泣き出したのです。参列のみなさんもその姿に涙したのをはっきりと覚えています。

 

私たちは人として生まれた以上、必ず死んでいかなければなりません。どんな死に方をするか。いつ死ぬか。は人それぞれです。しかし、死は必ず誰にでもやってきます。その時に、「私は死んでどうなっていくのだろう」ではなく、「いついのち終わっても浄土に生まれて仏となり、迷いの娑婆に還って人々を導くのです」と言い切れる方がどれほどおられるでしょうか。家の中でそういう宗教的会話がほとんどなくなってきているのではないでしょうか。

 

 親鸞聖人は七高僧のおひとり道綽禅師の『安楽集』より引用し「真実の言葉を集めて人々の浄土往生の助けにしよう。なぜなら、先に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは先を慕って、念仏のもと果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、迷いの人々がひとり残らず救われるためである」と申されております。つづけて「仏となったものは『化身』すなわち私たちの素質や能力に合わせてさまざまなすがたでこの世に現れ、迷える私を導いてくださり、また、私がこの世の縁が尽きるとき、同じく大悲の活動をする仏として浄土に生まれさせてくださるのだ」と教えてくださります。

 

 この三月二日おじいさんの十三回忌が帯広のご自宅で勤められました。お葬式の時小学生だった曾孫さんたちも今では立派な社会人。忙しい中みな休みをとって全道各地からかけつけ、ひいばあちゃん、ばあちゃんを支えるように囲み、厳かに法要を勤められました。とてもあたたかい気持ちになりました。

 

なもあみだぶつ なもあみだぶつ

 

真光寺 桃井 直行(中札内村)

「あくにん」

 ある町の教育委員会主催の、作文コンクールで小学5年生の少女が読んだ作文です。

 「私のお母さん」

 「 私のカアちゃん、バカ母ちゃん! 私のカアちゃんはバカです。 野菜の煮物をしながら、洗濯物を干しに庭にでたら、煮物が吹きこぼれ、父ちゃんから 『オイ、バカ。煮物が溢れているぞ!』と言われて、慌てて、洗濯物を竿ごと放り出して台所 へ駆けこみました。

 洗濯物は泥だらけです。

 『バカだなあ』と言われて、 『ごめんね、父ちゃん、カンベンね』とおどける母ちゃんです。

 しかし、母ちゃんを叱るその父ちゃんも、実はバカ父ちゃんなのです。 ある朝、慌てて飛び起きて来て、『ご飯はいらん』と洋服に着替え、カバンを抱えて玄関か ら走り去りました。

 すると母ちゃんが、

 『バカだね。父ちゃん。今日は日曜日なのにね。また寝ぼけちゃってま あ!』

 そういうバカ母ちゃんとバカ父ちゃんの間に生まれた私が、利口なはずはありません。

 弟もバカです。家中みんなバカです。

 しかし......私は大きくなったら、私のバカ母ちゃんのような女性になって、 私のバカ父ち ゃんのような人と結婚し、私と弟のようなバカ姉弟を産んで、家中みんなでアハハァハと明 るく笑って暮したいと思います。

 私の大好きなバカ母ちゃん!!」 (以下省略) ...

 このような作文です。

 皆さんはこの作文を聞いて、どう思われましたか?

 私は何か胸が熱くなりました。

 それは、何故でしょうか?

 多分、世の中の人はみんな、「善人ばかり」だからではないかと思います。

 でも、この少女の家族はみんな、「バカ家族」つまり「悪人ばかり」なんです。

 私たちは普通、「善人」が「いい人」で、「悪人」は「悪い人」だと考えます。

 「善人」は「正しい人」、「悪人」は「間違った人」ともいえるのではないでしょうか。

 でも、家中が「正しい人」だったら、どうなると思います?

 家族全員が「自分の正義」を主張します。

 当然、「正義と正義」がぶつかり合い、ののしり合い、時に殴り合うかもしれません。

 しかし、「悪人の家族」はどうでしょう? 家庭内で何かトラブルがあっても、「ごめん」「私がバカだった」とお互いが言えるので、ぶ つかり合いません。ステキな家族です。

 私にないものが、この少女や、この家族にはあるのです。

 だからこそ、私の胸が熱くなったのだと思います。

 「ごめん」のひと言が、私は、なかなか言えないのですね。 言おうと思うのですが、相手の顔を見た途端「こん畜生!」「誰がこんな奴に謝るか」となっ てしまいます。

 そんな「お恥ずかしいわが身の姿」を、この少女の言葉より教えられた気がいたしました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏